
Q:教師をしていた母が定年後認知症になり子どもにかえってしまいました
今年65歳になる母は長年小学校の教師として働き、教え子からも慕われていました。ところが定年後、ボーッと過ごすことが多くなり、昨年、父が亡くなると急にボケがひどくなり、認知症と診断されました。あんなに誇り高く、勉強熱心な母がどんどん子どものようになってしまうのかと思うと、情けなくなります。なぜ人間は痴呆症になると子どもに還ってしまうのでしょうか? また、[体は大人、心は子ども]といった状態には、今後どのように接したらよいのか教えてください。
まず、ご質問におこたえする前に、[認知症=幼児化していく]との認識を[キレイに払拭してほしい]と思います。
認知症の方々は、常に何らかの不安を感じている場合が多く、安心を得たいがために他者に対して極端なほど頻繁な関わりを求めたり、失敗が怖くて自発的に何かをすることができなくなったり、また、記憶障害によって、不合理に見える言動を繰り返したりする場合もあります。そこに、老化して身体が小さくなっていく外見上の変化も加わるので、あたかも[幼児化していく]ように感じられるのかもしれません。
確かに、頼み事が多くなったり、今まで出来たことをしなくなる状態を見れば「自立しようせず、甘えが激しくなった!」と感じてしまう方も多いでしょう。また、「いくら教えても、覚えない!」という、記憶障害上やむを得ない面にも苛立ちを感じ、「もはや大人ではない。子供と一緒だ」と断定したくなる気持ちも、判らないではありません。しかし、これは認知症という病気の症状により やむを得なく、記憶や言動の整合性や、感情の表現に困難が生じているだけなのです。そうした日常生活の“支障”とは別に、個人として長年培ってきた年相応のプライドや感性,感情も、心の中にはキチンと保っていることを知っておいて欲しいのです。
ですから、ついさっきまで「お母さん、お母さん…」と呼び続けていたとはしても、「いつまで呼んでるの? お母さんなんか、いませんよ!」などと、頭ごなしに叱責されれば(何を突然、怒鳴ってくるのだろう。この若い娘は?)と、不愉快な気持ちにもなり、怒りを感じたりもするのです。ましてや、「子供と同様に、強い態度で“教育する”しかない!」などと考えて、体罰にのぞむことさえ正当化するのは、単に相手をおびえさせ、深く傷つけるだけの、とんでもない間違いなのです。不安や不信、ストレスを増加させることで、逆に認知症を悪化させてしまいます。
まずは、本人にとって“最も安心できる”接し方を心がけてください。
一個の人間としての尊重され、自己を肯定してもらえる安心感こそが、穏やかな心と生活のリズムを創り、認知症の進行およびその症状に因る行動の障害を、和らげる結果になるのです。
長くなりましたが、認知症への正しい理解をお願いした上で、ご相談のケースにおこたえしたいと思います。教職という生き甲斐に続き、最愛の伴侶の“喪失”は、計り知れないダメージそしてストレスとなって、お母様の認知症の遠因となったのかも知れませんね…。しかし、先に述べたように認知症になり、記憶や行動に支障が生じてきたとはいえ、感情や人格までもが消失したわけではありません。
ただ、“ボーッと過ごすこと”は、静養が必要な場合を除き、あまり好ましい状態では無いような気がします。ご本人の“生き甲斐”や“心の支え”になれるような、交流や活動の場を、考えて差し上げるのも良いことだと思います。要介護認定を受け、介護保険サービスが利用できるのであれば、通所(日帰り)系のサービス(デイサービス,デイケアなど)を活用するのも、いかがでしょうか?
回答者/社会福祉主事 佐藤弘一郎
ここでは皆様の介護についての疑問や悩みにお答えします。お聞きになりたいことがございましたら、専用フォームにご質問内容を書いてお送りください。
スポンサードリンク


